「オフィスの冷蔵庫に入っているから持って帰ってね」
同僚の韓国出身教師に言われて、思わず微笑んでしまいました。
「お母さん、いらっしゃっているの?」
「うん、1月までいるって言うからもう嬉しくって」
彼女の母親は毎年1度2ヶ月ほどパースに滞在し、孫の世話をしたり、パースの静かで自然の多い生活を楽しんだり、そして何度もどっさりとキムチを作るのです。わたしはキムチが大好きなので、おすそ分けがやって来るともうそれを見ただけで小躍りしてしまいます。
初めてもらったときにはあまりの美味しさにさっそく電話でお礼を言ったくらいです。漬けたばかりのキムチはまだ瑞々しさが残り、酸っぱさが少なく、でもニンニクの強い香りを放ち、温かいごはんに載せて食べたらもう箸がとまらないおいしさです。
彼女のお母様はそれを何のレシピもなく、「いつもの分量」で何十年も作ってきました。そして、彼女のお母様もそのまたお母様も。ずっと家に伝わる味なのだということです。
「レシピが欲しくて、前回母が作っているのをみながら書いたのがコレ」
韓国語で書かれた手書きのレシピを見せてくれました。
「それがねえ、どんなにぴったり同じ材料と分量で作っても、母の作るのと同じキムチはできないのよ…なぜかしら」
「でもね」と彼女は言い添えます。
「母の味は出せなくても、母の味にわたしの味を足してほんの少し違ったものになってもいいと思ったの。そしてそれがわたしの味。わたしのパースの家の味でしょ?」
たぶん彼女のお母様も自分で初めてキムチを作ったとき、「ほんの少しお母さんのと違う」と思ったことでしょう。そして何度も作るうちに「わたしの味、家の味」を作り上げていったのでしょう。
キムチを介して繋がっていく小さな家族の歴史に思いを馳せて、わたしは「最後のひとくち!」と呟いて、名残り惜しくもうひときれ口に放り込みました。